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企業の使命とは?
会社の使命とは何か?日本でも近年M&Aにまつわる裁判が増えたせいかよく取り上げられるこの論点だが、ビジネススクールでもしつこいくらいこの問題意識は繰り返し議論される。

必修のBusiness Ethicsを皮切りに、選択科目のSocial ResponsibilityとCorporate Governanceでも最近再び丸一コマをこの議論に費やした。正面からこの論点を扱った授業だけでこの2年間で3回目となる。留学前は、アメリカのMBAなどは市場原理主義に違いないから、こんな神学論争のような論点はそもそも議論にならないとタカをくくっていた。しかし振り返ってみれば、米国の方が学術研究も実務でのアプリケーションも議論が盛り上がっている印象だ。3度目の正直ということで、これを機会に少しこちらでの議論を整理してみたい。

企業使命の在り方について、教授ごとに教え方は微妙に異なるが、Whartonではまず会社の目的は(a) 常に企業価値最大化することに尽きるのか、それとも(b)基本は企業価値最大化だとしてもそれに例外を認めるべき場合がありうるか、という形でおおむね議論が始まる。

企業価値最大化の立場の代表的な論客は、Milton Friedman教授。法的な制約の範囲内で、経営陣は株主価値の最大化を目指すべきだという立場。論拠が非常に明確な反面、企業の独占的な、拝金主義的なbehaviorの元凶として批判にさらされてもきた。

日本でいういわゆるステークホルダー論、すなわち会社はストックホルダー(株主)だけでなく、広く従業員や取引先、さらには地域社会など会社に利害関係を有するステークホルダーの利害をも考慮すべきであるとする考えは(b)の立場をとる学説のなかの一つという位置づけになる。特にソーシャルエンタープライズの世界ではこの立場をとるDouble Bottom Line (Profit, People) やTriple Bottom Line (Profit, People, Planet)などの考え方が、定着しつつある。ただ、この理論の一番の弱点は、異なる複数のStakeholderの利害をどのように調整するのか、どう優先順位をつけるのか、の指標があまりはっきりしない点だ。そのため、ステークホルダー論は実践的なビジネス判断には使えず、むしろ経営陣の裁量的(独善的)な判断を擁護する根拠として悪用されるというもっともな批判が根強い。

こうした批判に対して、企業価値追求の例外を認める(b)の立場の中でも、利害調整の優先順位について、より明確にポジションをとる見解が最近有力とされている。代表的な学説としては、企業使命の基本はあくまで企業価値の最大化であるとしつつ、例外的に最低限の「道徳的責任」を果たさなければならないとする立場。論客としては、Whartonの Thomas Donaldson教授などがこの立場の第一人者だ。英米法におけるDuty of Rescue(救助義務)などを引き合いに、

「例えば自分がお医者さんだとして、目の前に死にそうな病人がいて助けられるにもかかわらず何もしないわけにはいかない。企業も同様に、比較的少ないコストで困っている人に大きな便益をもたらすことができる場合、行動を起こす道徳的責任を負っている」

と説く。大手製薬会社はアフリカで採算の合わないエイズ治療薬を開発すべきか、大手製造業は若年労働などを避けるべく発展途上国への外注を回避すべきか、などの難しい問いに道徳的観点から迫る試みだ。ステークホルダー論との違いは、道徳的責務はあくまで企業価値最大化という究極目的の中の、最低限満たさなければいけない補完的な制約要因(constraint)として整理されている点だ。但し、優先順位が明確な反面、社会的責任の適用場面が限定的にすぎるとの批判がある。

企業価値最大化の例外を認めるこれら(b)の立場の議論の展開に呼応するように、例外を認めない(a)の見解も論理的な進歩を遂げてきた。最近では、単純な株主価値至上主義ではなく、Jenson教授のように、企業価値最大化の時間軸をできるだけ「長期」に設定し、「長期的企業価値(Long-term firm value)」の算定の中に、環境への影響などの経済外部性(externalities)や企業的社会責任(CSR)に伴うPR価値も全て織り込んでしまえとする見解が主流となってきている。自分の考えもこれに近い。

面白いことには、このように企業価値算定の時間軸をどんどん伸ばしていくと、(a)の立場も(b)の立場も実務的なビジネス判断の場面ではほとんど違いがなくなってくる。環境破壊を行えば、長期的には企業のレピュテーションに跳ね返ってくるだろうし、従業員をないがしろにすれば、企業の長期的競争力を損なうリスクも出てくる。このような整理を経て、ようやく議論の主題は企業使命に関する哲学論争から、長期的企業価値に資する(又は矛盾しない)形でどのような社会的責任を果たすことができるか、どのようにステークホルダーの利益を守ることができるかというずっと現実的なレベルの議論に推移する。

Business Weekが、アメリカのMBAを卒業する学生に対して「企業の使命とは何か?」は尋ねたところ、75%がMaximizing Shareholder Valueと回答したそうだ。Maximizing Shareholder Valueという単純な回答設定だけでは、現在展開されている微妙だが重要な会社使命に関するニュアンスの違いを十分に補足することはできないだろうが、それ以上に25%の学生が株主価値以外の使命に言及したことも興味深い。

今後、世界中の企業で経済活動と社会責任の距離感が今まで以上に問題となってくるだろう。M&Aなどの場面に限らず、危機管理やCSRなど非常に多くの経営判断の場面でこの問題に直面する。そのとき、どれほど真剣にこの企業使命の命題について考え抜いたことがあるか、そして自分なりの座標軸をしっかりもっているかはビジネスマネージャーとして今後ますます大事な資質になっていくに違いない。

普段どことなく冷めている学生も、この議論になると身振り手振りを交えてアツく持論を語ることが多い。そして会話の中でその人のいろんな人生観、価値観がにじみ出してくる。なんど議論しても飽きないテーマだ。

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【2010/04/04 00:39】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
Quantico 海兵隊士官学校にて
ワシントンDCの南西30マイルほど、ポトマック川を越えてVirginia州の森を抜けると100マイル四方の緑豊かな敷地にアメリカ海兵隊(marine corp)のQuantico Baseが広がっている。Quanticoはアメリカ大統領が載るMarine Oneヘリコプターを擁するほか、海兵隊の士官訓練の中枢を占めている最重要基地の一つ。普段は民間人が決して入ることを許されないこの地だが、今週末、WhartonのLeadership Ventureプログラムの一環として、海兵隊の士官訓練プログラムに参加させてもらった。

木曜日の夜8時過ぎ、暗闇の中バスで我々一行が到着すると、簡単なプレゼンテーションの後、30人単位のPlatoon(小隊)に分かれて宿坊へ。重い荷物を抱え、雨の中を二列で歩き始めると、突然現れた数人の教官が耳も裂けんばかりの大声で「遅い!」とどなり始めた。あわてて一斉に走り始めると、隊列の乱れを指摘されやり直し。びしょびしょになりながらようやく宿坊に着くと、二列に並んだ二段ベッドの通路に一斉に整列。二十キロ近い重たい衣装ダンスを何度も運ばされたり、全員が見ている前で床で腕立てを強要されたり、その後約3時間にわたり罵声と指導が続く光景は、まさにForest GumpやA Few Good Menなどの映画のシーンを彷彿とさせる。

一瞬指導の意味がわからず、一番声の大きな五分刈りのSergeant(軍曹)をちらっと見上げたのが大きな間違い。「おい、そこのお前、何見てるんだ!だいたいなんだこの揉み上げは?!貴様エルヴィスか、え?今すぐ剃ってこい!」と怒鳴り上げられ、同じくひげを生やしていた友人らと即刻剃る羽目に。(ちなみに、僕の髪型はごく平均的な日本人のショートです。)Marineでは上官の許可がない限り、相手の目をまっすぐ見ることすら、反抗的態度とみなされる。生死を分ける戦場では、上司の指令が一見理不尽に見えたり間違っていると思ったからといって、各自がバラバラな行動をとりだしたら、全軍の危機につながりかねない。だからこそ、こういう洗脳的な訓練方式が編み出されたのだろう。最初はにやにやへらへらしていたWharton生たちだが、午前3時に就寝消灯を迎えるまでのほんの数時間の間に、軍曹の一言一句に、背筋をぴんと伸ばして"Aye Aye Sir!"と無条件で声を張り上げる規律集団に見事に変えられてしまった。

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ようやくまどろみ始めた午前5時、突然軍曹らの大声で全員ベッドから叩き起こされる。二日目は、海兵隊の訓練で使われているCombat Courseを使っての実地訓練の日。ずしりと重い模型銃とヘルメット、水筒二つを持たされて演習に向かう。午前中は、Leadership Reaction Courseと呼ばれるリーダーシップ訓練。もともと第2次世界大戦前にドイツの心理学者たちによって原型が編み出されたと言われるこのトレーニングでは、5人ずつの小隊に分けられた候補生に対して、20近い難解なタスクを切り抜けることを求め、その際の判断力や指導力を観察して士官適性が見極められる。負傷したパイロットを敵地から奪還するオペレーションや、急流を超えて弾薬を前線に運ぶオペレーションなど、一瞬一瞬の的確な判断を要求する難しいものばかりだ。我々のチームは、五つのタスクのうち二つをなんとかクリアするのが精いっぱいだったが、70キロ近い負傷兵のマネキンを持ち上げた際の想像を絶する重さに、生死をかけた戦場のとてつもないリアリティーを感じた。

簡単な昼食をとった後、午後は約3キロにわたるCombat Courseに挑戦。このCombat Courseは、1967年のベトナム戦争中に作られた歴史ある訓練コースで、崖をロープでよじ登ったり、樹木を盾に林間ゲリラに迫るなど、多くの工夫が凝らされている。中でも、設計者の名前を冠したQuigleyと呼ばれる障害はMarineなら誰でも知っているほど有名で、鉄条網の下に広がるどろどろの沼地を銃を濡らさないように細心の注意を払いながら延々歩伏前進しなければならない。最後には沼の中に沈んだパイプの中にもぐって反対側に抜けなければならず、閉所恐怖症の候補生などはしり込みしてしまうものもいるそうだ。チームワークの良さと、Comfort Zoneを出て行動する勇気を求められる名物コースだ。口の中にたまった泥を吐き出しながら木陰に隠れて後続の仲間を待っていると、今にも近くの木陰からベトナム兵の集団が襲ってきそうな異常な緊張感に包まれる。訓練とわかっていてもこの緊迫感。現実の戦場に立つ兵士が直面する極限状態は想像すら及ばない。


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打ち上げレセプションで、今回のプログラムの指揮をとってくれたColonel(大佐)が、以下のような言葉を贈ってくれた。

“I don’t expect all of you to become future marines. But if you’re not carrying the same level of passion and devotion as us marines towards whatever you're doing in the future, I challenge you. I challenge you to try harder.”

文字通り命がけで一日一日を生きているMarineの自負と誇りがにじむメッセージだ。その後、Colonelと話し込む中で日本の事情にも話が及び、「自衛隊とは何度も一緒に仕事をしたことがあるが、彼らは本当のWarriorだ。」と彼が激賞していた。自衛隊の憲法上の位置づけやアメリカと微妙に異なる国民感情について説明すると、驚きの表情を示し、「彼らも我々と同じように苦しい訓練をこなし、命がけで国を守っているだろうに、それはつらいだろうな。」とつぶやいた。憲法上の問題はさておき、実際に国防や防災に体を張っている自衛隊員達の活動に対して、もっと自然に社会としての感謝と敬意を示すことができないものか、深く考えさせる一言だった。

長い歴史があるWhartonとQuanticoのこのユニークな提携プログラム。学校で中心となる同僚間のpeer leadershipと、Marineの組織規律を重視したhierarchical leadershipの違いはあるが、いずれもactionを重視する点で親和性がある。元々は、海兵隊出身のWharton生が、是非自分の友人らにもこの海兵隊式のLeadership 教育を体験してもらいたいと考え、双方に働きかけたのがこのプログラム開始のきっかけだそうだ。今年もMarine出身のRick とWardがロジやプログラム改善など裏方で尽力してくれた。打ち上げレセプションで、Venture体験に感嘆の声を上げる同級生らのスピーチを聞いている際のなんとも二人の誇らしげで嬉しそうな顔がとても印象的だった。Japan Trekを楽しんでくれた同級生を見守る日本人学生の恍惚感に通じるものがある。多様なバックグランドを持つ学生が、世界中から自慢の経験や価値観を持ち寄り、お互いを高めていく瞬間。これぞ、まさにWhartonの醍醐味だろう。

この2年間でおよそのことはやり尽くしたと思っていたが、とんでもない。まだまだ学びと気づきの日々が続きそうだ。
【2010/04/09 09:07】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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