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亀鑑の碑
先日、ある知り合いの方からの依頼で、ペン大のすぐそばにあるWoodlands Cemeteryという霊園を訪れた。依頼の内容は100年以上前にここに埋められた、ある日本人のお墓を探して写真をとってきて欲しいとのことだった。

フィラデルフィアの弁護士Andrew Hamiltonの邸宅の跡地に、1840年に造られたWoodlands Cemetery。ペン大のキャンパスから徒歩わずか10分ほどの場所に、1000本以上の樹木と美しい芝生に囲まれたビクトリア調の美しい霊園が53エーカーもの広大な敷地に広がっている。

ゲートを抜け、曲がりくねった道路をしばらく進むと白い二階建てのオフィスに辿り着いた。探している人のお墓の場所を尋ねると、デスクに座っていた案内役のおばさんがすぐに黒い著名埋葬者ファイルをもってきて、「ここよ」と指し示してくれた。

その方の名前は馬場辰猪(ばばたつい)。ファイルには、馬場氏のお墓の場所と共に、以下の略歴が記載されていた。

28. Tatsui Baba (1850-1888) G#130
This statesman was an important figure in the Japanese democratic movement of the 19th century. Baba was educated at Yukichi Fukuzawa's private school (later Keio University) and received a degree from Temple Law School in England. When he returned to Japan in 1878, he embarked on a political career, which included founding the Kokuyukai Society and becoming a leader in the Jiyuto, or Liberal Party with Taisuke Itagaki. Baba eventually left the party, but by that time he had been labeled a radical and was forbidden to speak publicly. In 1885, he was arrested on a charge of illegally purchasing explosives and spent several months in detention. When he was acquitted in 1886, he moved to the United States, eventually settling in Philadelphia. Baba continued his political activism, publishing a pamphlet in 1888 entitled "Political Condition of Japan, showing the Despotism and Incompetency of the Cabinet and the Aims of the Popular Parties". He died in that same year in Philadelphia.


baba tatsui


明治維新後まもなく、板垣退助氏らと共に自由民権運動の旗振り役として活躍した馬場辰猪。そんな明治の偉人の墓は霊園の通行路から数十メートルほど奥に入ったところにひっそりとたたずんでいた。墓碑には大きく、「大日本馬場辰猪之墓」と刻まれている。周りがきれいに芝生が刈り取られている中、辰猪の墓の一角だけは笹が生い茂り、同氏の数奇な人生を象徴するように一種独特の雰囲気が漂っていた。

1870年代、英国留学から戻った馬場辰猪は板垣退助らと共に憲法制定、議会開設、言論と集会の自由の保障などを掲げて自由民権運動の普及に走り回った。ところが、これを快く思わない薩長政府の分断政策により、1882年に辰猪は自由党から追放される。以降、政治演説の禁止命令を受け、爆発物取締の疑いで逮捕されるなど、政府からの迫害を受け続けた結果、亡命するように1886年に渡米する。

サンフランシスコについた馬場辰猪は、当初日本の鎧や刀などを通じて日本の政治/文化を紹介する講演を試みた。ところが、この講演は不評に終わったため、より大きな聴衆を求めて東海岸へ移動、当時憲法制定100周年記念行事で沸いていたフィラデルフィアに安住の地を得た。ペン大やFranklin Instituteを中心に日本政治への批評や自由民権運動に関する講演を続ける一方、某大な数の新聞記事やエッセイを綴り、言論統制を行い続けていた当時の明治政府に外からプレッシャーをかけ続けようと試みた。ところが、わずか2年後、持病の肺結核を悪化させ、フィラデルフィアで38歳の若さで亡くなった。当時、ペン大で辰猪に世話になっていた岩崎久弥氏(三菱創業者の岩崎弥太郎の息子)が、看病、葬式などの世話を引き受け、上記の墓碑を建立したそうだ。

100年以上も昔の話。まだインターネットどころか電話もろくになかった時代だ。故郷高知を離れ、理想に燃えながら、一人遠い異国の地で志半ばに若い命を終えた馬場辰猪の思いは、どんなものだっただろう。祖国に裏切られた苦い無念の気持ちだったのか。それとも、不屈の意志で講演や執筆活動を続けながら、いずれ帰国する日を夢見ていたのか。寂しげに立つ墓碑からは伺い知ることはできない。しかし、言論の自由を求め命がけで闘い続けた同氏が、アメリカで言論の自由の先駆的判決(Zenger Trial 1736)を勝ち取ったHamilton弁護士の由縁の地で最後の眠りについたことには、何か不思議な縁のようなものを感じる。

慶応義塾の創始者福沢諭吉は馬場辰猪の死を悼んで

「君は天下の人才にしてその期するところもまた大なると言へども、吾々が特に君に重きを置きて忘るることあたはざる所のものは、その気風品格の高尚なるにあり。百年の後、尚ほ他の亀鑑(模範)たり」

と述べ、その精神の独立を激賞した。

不遇や挫折にもめげず、38歳の短い生涯を全力で駆け抜けた馬場辰猪。

その墓碑の文字は
「本当に懸命に今の一日一日を生きてますか。」
と訪れる者に静かに問いかけているかのようだった。

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【2010/05/01 13:49】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
Give Backすることの意味
「Presidentが終わった後は、何をやってるんだ?」とよく聞かれる。WGAのプレジデントは、任期満了後に自動的にGraduation Committeeの議長を務めることになっている。Graduation Committeeとは、卒業式を含め2年生達の卒業に向けた一連の行事やイベントの準備を学校側と協力して進めていく学生のグループで、各コホートから選出された12人のCohort MarshalとPresidentを含む4人のWGA Boardの計16人で構成される。

Graduation Committeeの役割の一つに、Class Giftのサポートがある。Class Giftとは、学校のAlumni Affairsオフィスと協力して各卒業学年の学生達が自主的に集め、卒業と共に学校に寄付するとまった寄附金のことを指す。2年間のMBAを通じて財政破たん寸前に陥っている学生の懐具合も勘案して、Class Giftへの参加には今すぐ寄付するDonationと、今後数年間にわたっていくら寄付しますというPledge(誓約)の両方の方法が用意されている。集まった寄付金はその都度の学校のニーズに応じてLeadership Ventureや学校行事、新カリキュラムの研究などに投じられる仕組みだ。

こうした制度設計から透けて見えるClass Gift制度の主眼は、$金額の多寡よりも高い参加率の達成にあると言える。卒業というこのタイミングでとにかく一度学校へgive back するという習慣に触れてもらい、今後10年、20年にわたって学校をサポートしてくれる卒業生組織を築いていく。そのためのAlumni 教育の大事なファーストステップとして位置づけられている。結果、毎年90%前後の学生がClass Giftに参加してきた。

学生に対してClass Giftに参加を呼び掛けるキャンペーンピッチにはいくつかのバリエーションがある。学校にお世話になったから当然だとか、学校の将来発展に必要だからとか、Whartonのランキングに影響するからというピッチもあるが、いまいち自分の中ではピンとこなかった。

でもそれらの中に一つ、すとんと心に落ちる論拠があった。それは、自分達がこの2年間受けた素晴らしいMBA教育が、実は多くの過去の先輩OB達の寄附金や善意のおかげでなりたっているものだから、今度は僕らがGive Backする番だ、というものだ。調べてみると、Whartonの約$340mの年間予算のうち、確かに2割近い額が過去の卒業生や篤志家の方からの寄付によって成り立っていることがわかった。つまり、彼らの善意とサポートがなければ、僕等の学費は現在よりも数十パーセント高くなっていたか、あるいは、僕らがエンジョイした海外研修やリーダーシッププログラムなどのサービスがカットされていたかもしれない。出会ってinspireされた素晴らしい友人らの一部は経済的理由からWharton就学を断念していたかもしれない。

class gift

大勢の先輩や篤志家、財団などの善意のお世話になった以上、今度は僕等が将来の学生達のために自分のできるgive backを始めるというのはとても自然に納得できた。自分の人生ではじめてとなるまとまった金額を学校にDonate/Pledgeし、この約一カ月にわたるキャンペーンを通じてボランティアとして友人や知人に理解と協力を求めてきた。ありがたいことに日本人の同期を含め、大勢の友人らが賛同してGiftに参加してくれた。

アメリカで寄付が盛んな背景にはもちろん税制や制度面の違いもあるだろう。でもそれ以上に、Give Backを重んじる文化の裏側には、あるべきリーダー像として根源的な「謙虚さ」という資質が非常に重視されている構造が垣間見える。「自分の幸せや環境は、自らの才能と努力でのみかちとったものではない。」「家族や先輩、友人や社会など大勢の目に見えない人たちのサポートと協力があればこそ僕はここにいる。」「自分は生きているのではなく、生かされているのだ。」「自らの非力と他者への感謝を形として表わしていくのがあるべきビジネスリーダー像ではないか。」「企業もやはり同じように社会にGive Backする責任があるんじゃないか。」友人らとClass Giftについて交わすこんな会話の一つ一つが、ものすごく刺激になる。

この2年間の間にも、ローカルチャリティーのサポートから非営利事業でインターンをする同僚への経済的援助まで、数多くdonationを求められる機会があった。そういう環境において自分なりのdonation哲学をもっていないと、その都度返事に苦しんだり場当たり的な対応を後で後悔したりすることになることも多い。卒業を前にしたこの贅沢な時間に、Give Backするということの意味についてもっともっと自分なりの考えを深めてみたい。
【2010/05/12 05:15】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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